戦後生まれですが、日本が高度成長・バブル崩壊・そして、平成の時代を経験してきました。
このタイトルでは何回かに分けて書くことにしました。

おじいちゃんと孫たちです。
何かに機会には大勢の親族が集まりました。
今から思うと生活は凄く不便でしたが、温かく楽しい家庭がありました。
おじいちゃん・おばあちゃんも傍にいて、家に帰るとお母さんがいました。
お姉ちゃんも勉強を良く教えてくれましたね。

子どもたちの役割もちゃんと決まっていて、私は井戸からトヨを引きガチャコン・ガチャコンと井戸を汲み、風呂に流し込むのです。
もちろん、風呂を沸かすのは私の役割で炊きつけは紙や廃材です。
一番に入るのはおじいちゃん。
仕事から早く帰えればおとうさんの順でした。
おじいちゃんには「風呂の中に手ぬぐいを入れちゃ駄目だよ!」といつも怒られていました。
数を覚えたのも風呂場でしたね。
「ひぃ〜 ふぅ〜 みぃ〜 よっ・・・。いち にぃ さん しぃ〜・・・」
冬になると大きな掘りゴタツに、みんなが集まりラジオなどを聞いていたものです。
母は裁縫をし、姉は本を読み、私たちは何をしたかは覚えていません。
コタツの燃料は豆炭か練炭でした。
布団には母が湯たんぽを入れてくれ、厚着をして潜り込んだものです。
あの温もりは忘れられませんよ。
トイレは昔ですので、ボットン便所(汲み取り式)です。
これを汲み取るのは父でしたが、一緒に桶を担いで小さな畑に肥料として撒くこともありました。
あまりにも臭さに逃げ回っていました。(笑)
小さい頃は冷蔵庫もありませんので、常に新鮮な食べ物ばかりだったのでしょう。
そのせいか、煮物が多かたような気がします。
今や冷蔵庫は物を腐らせるためにある?とも言われています。
(この意味合いは解りますか?)
着るものはお下がりやもらい物が多く、まさにリサイクル・リユースの先端?でした。
(私は長男なので新しいものがほとんどでした)
こんな生活でも今から考えると、今以上に裕福な環境でしたね。

自然も多く、子どもたちは暗くなるまで外で遊び、悪いことをすれば他人から怒られるのもしばしばです。
今では物が溢れ、片付けてはあるのですが、日本中がごみ屋敷のように感じます。
衣類も多過ぎます。
食べ物もあり過ぎます。
全て便利に整い過ぎています。
こんな中でも、何か物足りなさを感じています。
それは何なのでしょうか?
yuki